生活者
玄関のチャイムが鳴り、僕はドアスコープから外を覗き込んだ。
ドアの向こうの配達員からは僕が見えないはずなのに、まるで目があっているかのような錯覚をおぼえた。そのとき、家という個人的な空間を守る壁が急に頼りなく感じられ、玄関の向こうとこちら側、窓の外と内側、台所の排水口と下水道、そういった境界線が曖昧になっていくのを感じた。
僕はしばしば生活を「エントロピーとの闘い」と表現する。
絶えず空腹に近づいていくなかでスーパーマーケットで食材を買って料理を作り、そして食事している間すら空腹に近づいていく。絶えずホコリが積もっていく床を拭いてまわる間も、自分の足で床が汚れて窓からは砂が吹き込んでくる。絶えず目減りして消耗していく何かを何度も修復し、空腹と満腹のような一対の概念の間を死ぬまで行ったり来たりすることが生活の本質だと僕は考える。
家の中と外、空腹と満腹、あらゆる概念の間にはぼんやりとした境界線が横たわっている。こうした境界線上の曖昧な状態はひとの不安をかきたてる。どちらかに定義できないものをひとは見過ごせないからだ。だが、この曖昧な状態を受け入れることは世界に余白という希望をもたらすと僕は思う。
展示風景(撮影:NIL様)
2F展示入口
2F洋室
2F和室
2F階段脇
3F入口
3F展示
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